tamaeの日記

昨日よりちょっといい日。旅や趣味に関することなどを綴っていきます。

アイザック・スターン

20世紀を代表するバイオリニストの一人、アイザック・スターンについて。
直接、彼の演奏を聴いたことは無かったけれど、彼が亡くなった当時(2001年9月後半)、購読していたロシアの新聞「論拠と真実」に掲載された彼のインタビュー記事を訳していたので、それを紹介します。

※школа=school=流派、メソッドと訳しています。



【音楽の自己保存本能】

現代の最も偉大なるバイオリニストのひとりであるアイザック・スターンがニューヨークで82年の生涯を閉じた。
最後の公演となったロンドンでモスクワニュースの特派員エフィム・バルバンがインタビューを行った。

−あなたはアメリカのバイオリニストと言われています。しかし、ある意味では、ロシアのバイオリンメソッドにも属されているのでは。

−私の最初の教師はナウム・ブリンデル氏で、チャイコフスキーバイオリン協奏曲の最初の演奏者であるアドルフ・ブローツキー氏に師事された方でした。ですから私が多くのことでロシアのメソッドの恩恵を被っているのは必然的なことでした。おそらくなにかが私のスタイルの中でロシアのメソッドと私を結び付けているのでしょう。しかしその後、他のバイオリンメソッドが私に影響をもたらしました。アメリカの音楽メソッドとは実際どんなものでしょうか。本質においては様々なヨーロッパメソッドの混合したものです。アメリカにはヨーロッパのほとんどの国から有名な音楽家が移住してきました。特にヒットラーが政権についてから移住者が増加しました。これらヨーロッパすべてのメソッドは長所と短所をもち合わせています。そしてこの場合それらのメソッドの長所だけを活用する方法が重要な意味を持ちました。ちなみに基本的にアメリカのバイオリンメソッドを作り出したのは、レオポルド・アウエルをはじめとするアメリカに移住したロシアの教師陣です。だから私はアメリカのバイオリニストであり住所においてもアメリカ国民なのです。

−あなたはロシアで生まれ、ご両親とはロシア語で会話をされていた。ロシアの文化はあなたにとって異国のものとはいえないのでは。

−それがどんなものであるかはわかりませんが、私の血の中でもなく文化的な基盤にでもなく何かロシア的なものはあります。驚くべきことに私がロシア語の会話を耳にする時(自分自身ロシア語で話すのは下手ですが、ロシア語はよくわかります。)またはロシアを訪れる時には、私は自分を外国人だとは感じません。1956年のことですが、私が幼少の頃にロシアを離れてからはじめてロシアへその当時のソビエト連邦へ行った時のことを憶えています。私は忘れられた故郷へ戻ってきたような不思議な感覚にとらわれました。このようなことは他の国々ではなかったことです。

−2、3日前に私は、あなたの演奏にはあなたの個性と性格が完全に反映されていると主張するある批評家の見解を多少の疑いを持って読みました。これに関しては同意されますか。

−完全に同意します。これは必然的なものです。そしてこれは私の意志とは関わりなく生じています。例えば、音楽分析家がいたならば、彼らは私の奏でるバイオリンの音から私の潜在的なコンプレックスや恐れ、そして希望をかなり的確に判定できるでしょう。バイオリンは演奏することで弾き手の個性を映し出してしまうとても精巧で表現力豊かで洞察力のある楽器です。

−私はロンドンのロイヤルフェスティバルホールでのリハーサルに伺いました。そのときあなたはヨー・ヨー・マ氏、そしてエマヌエル・エクス氏とベートーベンの三重奏のリハーサルを行っていました。あなたはこの曲を少なくとも30年は演奏されている。それにもかかわらずリハーサルでは絶えず共演者に解釈の何か新しいニュアンスを提案されている。

−私はいつも習慣的な演奏を恐れているのです。惰性は音楽を台無しにすることがあるのです。解釈の改新はクラシック音楽を蘇生する唯一の方法なのです。ですから私は良く知っている曲の中に新しい意味やアクセントを探し、何度も何度も再解釈するよう努めているのです。ベートーベンの曲の深さはこの意味でとても刺激を与えてくれます。

−あなたとイストミン氏、そしてロウズ氏のトリオの出演と録音は演奏技術の歴史にその名をとどめています。あなたにとってこのトリオでの演奏経験がどれほど重要な意味をもつのでしょうか。

−アンサンブル演奏者の経験は多くの点でソリストの経験と異なっています。トリオでは私は共演者の聞き方、理解のし方を学びました。この経験は何か家族のものを思い出させます。その他にも、アンサンブルは忍耐、寛容さ、謙虚さ、協力すること、客観的判断力といったような音楽的、そして非音楽的な要素を成長させます。
 アンサンブル演奏の経験がないソリストは、私の意見では音楽家として完璧ではないと思います。もちろんこのトリオでの演奏は、私にあらゆる年代のすばらしい音楽と知り合う可能性をもたらしました。
私達は特にベートーベンとブラームスの三重奏全曲を録音しました。

−あなたは日本の音楽作品のアルバムも録音されていますね。有名な演奏家はアメリカやヨーロッパにとって異国風な音楽文化にはあまり注目されないのではないかと思われますが。

−私にとってはとても自然な行為です。私は長年シンガポールからペルーまで様々な異国の地で客演をしています。そしてどこでもその地の音楽を聞くようにしています。私はつねに日本の音楽と日本文化に感心がありました。音楽家はより多くの様々な世界の文化を知れば知るほど、自分自身の文化に対する理解もより深く豊かになるのです。

−もうひとつあなたのような演奏家にとってはとても珍しい特徴があります。クラシックと並行して現代音楽も演奏されています。おそらく、あなたはバーンスタインやペンデレーツキー、ロチベルグ、マックスウェル・デイビスその他の作曲家の作品を演奏した最初の演奏家なのでは。

−私は慈善的な理由とは全く関係なくその活動をしているのです。これは私自身にとって必要不可欠なのです。何度も演奏しているレパートリーにカビを生やしたくない場合には、新しい音楽に触れる必要があるのです。前にも言いましたが、私を新しい音楽に引き寄せているのは音楽の自己保存本能なのです。ここにはもうひとつ重要な要素があります。クラシック音楽は現代音楽と相互関係を持つことでのみクラシックに適応する理解と解釈が可能なのです。これは私が経験して解ったことです。

−アメリカではあなたはバイオリニストとしてだけではなく社会活動家としても有名です。そればかりでなくカーネギーホールの芸術監督でもいらっしゃる。

−若い音楽家を手助けすることが私の義務だと思っています。その上、現代はクラシック音楽がポップスの文化から巨大な圧力を受けています。だから私はクラシック音楽を支援するためにできることはすべてするつもりなのです。カーネギーホールは今のところ優れた芸術の重要な拠点なのです。

バイオリンの演奏を指導する際の主要な原則とは簡潔に言ってどんなものでしょうか。

−音楽を創造するためにバイオリンを活用する。バイオリンを演奏するための音楽ではないということです。

−今はどのバイオリンを演奏されているのですか。

−グアルネッリのものです。以前はあの偉大なバイオリニスト、イザイのものでした。イタリアのクレモーナで1740年に作製されたものです。

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アイザック・スターン
1920年7月21日モスクワ郊外ポドリスク県クレメンツァ生まれ。1921年からアメリカに居住。サンフランシスコ音楽院で音楽教育を受ける。15才の時にサンフランシスコ交響楽団と共演しデビューする。1948年ルツェルンにてヨーロッパでの初公演。1956年ソビエト連邦にて初公演。ソビエト‐アメリカ間の文化交流プログラム開始2年前のことであった。世界の著名なオーケストラと数多く共演。レパートリーは、ほぼ全てのバイオリンのクラシック楽曲、そして個人的に贈呈されたものも数多く含まれる現代音楽作曲家の作品である。